あなたはだれと生きたいですか?

あなたはだれと
生きたいですか?
自分のことだけ考えている人と
生きたいですか?
それとも他人のため
世界のために愛を与え
忍耐する真実の人と
生きたいですか?
だれでも他のために生きる
真実の人と生きたいのです。


永遠の主人となる道

百名の友達がいるとき、その百名のために一生の間を生きれば、その友達百人からあがめられる中心になるのです。ですから、永遠の世界で、永遠に「ため」にする主人がいれば、永遠の主人になるのです。(「地上生活と霊界」より)

永生のために必要なこと

皆さん、「自分は永生する人だ。真の愛を実践する人だ」という姿勢で生きるべきです。ですから何をするのでしょうか。「永生のためだ」と「永生を訓練することだ」と、考えなさいというのです。皆さんには、永生と真の愛との観念は、いつも必要です。永遠に必要なのです。(「地上生活と霊界」より)

永生

一番重要なものは永生です。しかし、霊界があるか、ないかということを知らずにいます。 間違いなく永生するということを知るようになれば、他の人が「罪を犯せ」と言っても犯さないのです。(「地上生活と霊界」より)

迫害がなくなった時の試練を乗り越えるには

迫害を受けようが受けまいが、物がなかろうが豊かであろうが、ただひたすらに神の願いに生き、万民の幸福のために生きるのだ、という絶対的信仰観・目的観を確立する以外に乗り越える道はない。

マルスム P.77

永遠の出発は瞬間から

永遠の出発は、自分がみ旨を知った瞬間から続くのです。ここに一日のうちの瞬間でも、時間の関係において飛躍があったり、どん底が生じれば、永遠は中断されるのです。 それゆえ、我々が生涯の路程を中心として、信仰の道を行くのに、今年行けなければ来年に行き、来年に行けなければ再来年に行き、十代に行けなければ二十代に行き、二十代に行けなければ三十代に行き、三十代に行けなければ四十代に行けなければ五十代に行きと、このようにしてはいけません。一生をこのように生きていくなら、彼は、一生をみ旨と一つになった一日の生活をもってみることができずに死ぬでしょう。(「地上生活と霊界」より)

真の愛は、愛を与え、与えたことさえ忘れる愛

家庭は愛の包みだと言うこともできます。

天国に行ってその包みをほどいてみれば、その中から良いお父さんとお母さんが飛び出してきます。
美しい子供たちが飛び出してきます。
慈愛に満ちたお祖父さんとお祖母さんが飛び出してきます。

一人一人が愛の包みに包まれているところが家庭です。

家庭は神の理想が実現する空間であり、神がなさることの完成した姿を見ることができる場所です。

神のみ旨は、愛が実現する世界を作ることであり、家庭は神の愛が満ちあふれたところです。

家庭とは、言葉にしただけで自然と口元から笑みがあふれる存在です。
家庭には、心から私のためにしてくれる真の愛が満ちあふれているからです。

真の愛は、愛を与え、そして愛を与えたことさえ忘れてしまうものです。

父母が子供のために生きる愛、祖父母が孫に与える愛が真の愛です。