これが完成的愛です

愛によって生まれ、

愛の中で成長し、

さらに

異なる次元の愛に連結されるのは、

父母の愛を離れ、

相対の愛を求めていくことなのです。

父母の愛は

蘇生的愛ということができ、

夫婦の愛は

長成的愛ということができます。

夫婦でいくら愛し合っても、

子女がいなければ

愛の完成を見ることはできません。

ですから、

子女を願うのです。

これが完成的愛です。

ですから、

父母の愛、

夫婦の愛、

子女の愛を

経る過程が生涯の根本であり、

神様の創造的愛の

理想の根本となる道です。





皆さんは、何ゆえに生きていますか。

「食べるために」と答える人もいるでしょうし、

あるいは
「仕事をするために」、

または
「何の目的もない人生を生きている」
と言う人もいるでしょう。

人間は、何のために生きるのでしょうか。

愛のために生きるというなら、
どれほど素晴らしい答えかというのです。

人間は、
愛の結実として生まれ、
愛し合いながら生き、
永遠なる愛である神様の懐に帰るようになっているというのが
創造本然の生なのです。





孤独で寂しいと思うときこそ信仰が試されるとき

堕落とは何か。

簡単にいえば、
神を無視して、
自分かってな道を歩んだことです。

神の願う方向とは何かを知らずに、
一生懸命働いても、
神から祝福を受けることはできません。

神を中心として働くということが、
サタン世界から脱却するために
何よりも大切なことなのです。

神が願われることは、
皆さんが若い間に大いに苦労することによって、
個人としての人格を形成し、
その人格の上に家庭を築き、
そうして築かれる家庭の上に
世界を復帰して
天国を築いてほしいということです。

皆さんが個人のレベルにおいて
み旨のために働くとき、
あらゆる方面から迫害を受けます。

皆さんの家庭・社会・国家・世界が
皆さんに反対し、
迫害するでしょう。

神はそのようなとき、
皆さんが決してくじけることなく、
強く雄々しく困難に立ち向かい、
苦労して蕩減復帰の基台を打ち立てることを
願っておられるのです。

皆さんは時々、
自分は孤独だと感じることはありませんか。

だれも自分のことを分かってくれない。

家庭からも反対され、
先生も自分のことは分かってくれない。

そしてさらには、
神からも愛されていないのではないかと思うくらい、
孤独で寂しいと思うときがあるでしょう。

そのようなときこそ、信仰が試されるときです。

他人から何と言われようと
決してあきらめることなく、
自分が正しいと信じる道を
歩み続けることを決意するならば、

その瞬間、
皆さんは信仰者として
最高の基準に到達することができるのです。

その基準に到達したときに、
神は無条件で
皆さんを信頼することができるのです。

地上天国こそは人類歴史の究極的な目的である

イエス様は神の希望を表し、
キリスト教はイエス様の使命とともにその希望を引き継いできました。

そして今日に至りましたが、今日キリスト教はどのように位置づけられるでしょうか。

イエス様が当時の人々の希望であったように、
今キリスト教は人々の希望であるということができるでしょうか。

人間はどこに行くのでしょうか。

世界と歴史はどこに行こうとしているのでしょうか。

神はその究極的な目的に向かって前進していきます。
それは決してとどまることがありません。
たとえ行き詰まったとしても、何としてでも突破口を見いだそうとされる神なのです。

そして、その神の希望とされる世界を私たちは地上天国と呼んでいます。
そこは神が真に喜びを感じることのできる所であり、その喜びの中で心の底からほほえみ、笑うことのできる所です。
そこはまた、人間も喜びに満ちて共に心から祝う所なのです。

地上天国こそは、人類史の究極的な目的です。
歴史が他のいかなる目的を持つことができるでしょうか。

神の国は、神と人が共に喜ぶことのできる所であり、
神と人類と歴史の希望が実現する所です。

世界でこの究極的な目的を追求している人々はわずかですが、
この地上には多くの宗教があって、それぞれの教義や信条や、死後に対して天的慰めを与えてくれる何らかの希望を持っています。

しかし、これらの宗教とは逆に、共産主義というイデオロギーは、この地上に神なしでユートピアを築くことができると宣言しているのです。